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美咲町の文化財(美咲町指定重要文化財・旧中央町)
宝篋印塔
所在地:美咲町原田
美咲町指定重要文化財(石造美術)(昭和53年5月22日指定)
基壇・基礎・塔身・笠・相輪の各部とも、ほぼ完存しています。隅飾の突起がほぼ垂直であり、一弧輪部と巻き、全体の様子から室町時代初期の作であると考えられています。
参考文献
『中央町誌 地区誌編』 2018年
興禅寺 宝篋印塔
所在地:美咲町錦織172
美咲町指定重要文化財(石造美術)(昭和31年6月28日指定)
総高1.2m。花崗岩でできており、塔身の縦の長さと横の長さがほとんど同じであること、隅飾突起の外側の線がほぼ直立していること、基壇反花座の複弁ふくらみ等の特徴から鎌倉時末期から室町前期頃に造られたと推定されています。
光後玉江にかかる古文書19冊並びに付属書類28点
所在地:美咲町錦織172
美咲町指定重要文化財(古文書)(昭和53年5月22日指定)
江戸時代末期より明治中期の漢学から蘭学へと急速な転換をした頃、岡山県下でただ一人といわれた女性蘭方医・光後玉江が郷里錦織で開業し、その時興禅寺住職戒船和尚のもとで仏門に入り、診療室兼茶室として使っているが移築された桜渓の間でその時発見されたのがこの医学文書です。
金剛力士像
所在地:美咲町両山寺
美咲町指定重要文化財(彫刻)(昭和57年7月14日指定)
阿形 吽形
阿形230㎝、吽形220㎝。針葉樹の寄木造、玉眼、彩色。
阿・吽形両像とも近世初期の製作と思われます。昭和56年に解体修理され、改装された仁王門に安置されています。
元禄道標(石造)
所在地:美咲町打穴中
美咲町指定重要文化財(石造美術)(昭和57年7月14日指定)
総高96㎝、東面には「東是より左備前道」、西面には「元禄二己巳年三月日」と刻まれています。当時、美作国を領した四代目藩主森長成が領内の要所に建てた道標の一つです。津山方面から来たら、左に折れて備前岡山へ行く道を示しています。現存する道標は、12基、紛失1基の計13基の存在が確認されています。
(参考文献)
・美作地域歴史研究会連絡協議会『美作の道標 元禄道標と津山元票』2015年
・『中央町史 地区誌編』2018年
宝篋印塔(大垪和東)
所在地:美咲町大垪和東)
美咲町指定重要文化財(石造美術)(昭和58年9月12日指定)
総高1.2m。花崗岩製で、四面に格挟間をいれ塔身には四面に月輪、四仏の種子が刻まれていて、鎌倉時の面影が残る作品であることから南北朝初期~室町時代の作とされ、完形を留めています。移動の形跡もみられないことから、町指定重要文化財になっています。
元禄年中版木・寺印・享保年中版木
所在地:美咲町錦織172興禅寺
美咲町指定重要文化財(版木)(昭和58年9月12日指定)
版木・寺印は当時の印刷技術を知ることができる貴重な資料です。興禅寺の光禅庵より出版され、「美作大般若経」と名付けられています。大般若経600巻のうち499巻の末尾には、「南謄部州大日本国作州錦織村光禅庵住持比丘尼至脱永和歳在丙辰十月七日」と刊記が書かれています。
参考文献
・『中央町史 地区誌編』2018年
・『中央町の文化財 神社仏閣編』中央町文化財研究会・中央町文化財保護委員会・中央町教育委員会 1985年
諏訪古墳群
所在地:美咲町原田 諏訪神社
美咲町指定重要文化財(史跡)(昭和62年3月6日指定)
昭和42(1967)年に諏訪古墳群の発掘調査が行われた際、諏訪神社境内の現在地に弥生時代後期の竪穴式住居跡が発見され、翌年に復元工事が行われました。古墳群は、弥生時代後期から古墳時代にかけて作られた住居址を中心に円墳6基、方墳1基、前方後円墳1基、経塚1基があります。境内からは、甕棺や土師器・須恵器が出土しています。8本の支穴があり、囲炉裏・貯蔵坑をもつ住居址が復元されたています。当時の人々の暮らしを知る上で貴重な遺構です。
参考文献
・近藤義郎『美作地方における前方後円墳秩序の構造的研究Ⅰ 美作の首長墳-墳丘測量調査報告-』吉備人出版 2000年
・中央町文化財保護委員会『諏訪古墳群発掘調査概要』1967年