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            郷土の世界的学者「横川定」SADAMU YOKOKAWA
                                                                横川吸虫へ

 久米郡中央町大垪和村(現在の中央町大垪和西)の生まれ、関西薬学校に学ぶ。続いて岡山医学専門学校に学び卒業後台湾総督府医学校の助教授を勤めるかたわら、淡水魚に寄生するヘテロフイエス属を確認また内地河川の鮎に寄生する「メタゴニムスヨコガワイ」を発見して医学博士の学位を得た。大正八年には南北アメリカ、欧州各国へ渡り、十二指腸虫、蛔虫、ジストマ、或いはマラリアの研究をも行い、昭和四年理学博士の称号を得る。英国王位熱帯医学衛生学会の日本幹事に推薦され、台湾帝大の教授にも就任した素晴らしい方です。
 また、横川定の子息には「1991年春の叙勲を受賞した寄生虫学者の「横川宗雄博士」も居られ数々の功績を残されています。
 ※本名 横川定(よこかわさだ)だが、公には「よこがわさだむ」として知られている。
横川定博士の略歴
1883年
(M14)
7月21日 久米郡中央町大垪和西1531番地に横川信治の長男として生まれる。
 父横川信治は、備前津高郡高冨村(現在の加茂川町)で草地佐之治の長男とし、明治6年4月亡き妻の姉横川房五郎長女と縁組、大垪和に住む。岡山蕃小川知彰(小川郷太郎義父)に学技をもとめる。
1894年
(M27)
就正尋常小学校卒業(4年)
1903年
(M36)
関西中学校卒業
1905年
(M38)
岡山医学専門学校卒業
 このころ、岡山キリスト教会(組合教会)の影響を受ける。
1908年
(M41)
台湾総督府医学校講師となる。
 病理学・解剖学・法医学を講ずる。
1911年
(M44)
横川吸虫発見・学会に発表
 
1917年
(T6)
医学博士の学位を受ける。
1919年
(T9)
台湾医学専門学校教授となる。
 病理学・寄生虫学の研究及び教育に努める。病理学から寄生虫学を創設。
同年 英・米・スイス・アフリカへ留学
明石町組合教会及び医専YMCAで中心的活動を行い、禁酒会会長を務める。
1920年
(T9)
ジョンス・ホプキンス大学に留学
1923年
(T12)
帰郷。父横川信治の墓碑銘を誌し、地元で学業並びに外国事情を講演する。
1924年
(T13)
10月 父横川信治の墓石建立
1929年
(S4)
ヘリグモソマス.ムリスの発達史の研究により東京帝国大学から理学博士の学位を受ける。
1936年
(S11年)
台北帝国大学教授となる。
1947年
(S22年)
5月帰国し、東京に暮らす。
1956年
(S31年)
6月25日死去
主な業績
鮎を中間宿主とする新寄生虫並びに同虫に対する一属の新設
肺ジストマの終宿主体内における移行路について
肺ジストマの発育に関する知見補遺、ことに蟹を中間宿主とする肺ジストマ以外の小吸虫について
十二指腸虫及びストロンギロイデスステルコラリスの発育に関する研究
一新ゴンギロネーマの寄生による鼠前胃、食道、舌及び口腔粘膜の表皮癌について
肺ジストマ病の治療に関する研究
マラリア原虫の赤血球外発育に関する研究
the development of heligmoscmum muris yokogawa, a nematode form the instestine of the wild rat parasitology