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SINSUKE AKAMATSU                           ギャラリー真輔へ
             赤松 真輔

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 加美小学校の玄関には、漁師の親子を描いた絵が飾ってあります。これは、中央町出身の画家赤松真輔さんが描いたものです。
 赤松真輔さんは、本名を赤松真一といい、明治36年に中央町(旧加美村)の原田で豊八・ちゃうの長男として生まれました。病弱であった彼は17歳の頃、佐良山病院に入院して病気療養をしていました。その時、赤松さんが病室に自分の描いた絵を貼っていたところ、近所に住む画家の山本先生がその絵を見て彼の絵の才能に惚れ込み、画家になることを勧めました。赤松さんは、その勧めを受けて画家になることを決意し、19歳の時に東京美術専門学校に入学しました。そこで岡田三郎助先生に師事し、また、女子美術学校の三岸節子氏と交流を持ちました。在学中の大正12年に起こった関東大震災の後、復興の手伝いをしていた東京善隣館の館長竜野定一氏の勧めで、鹿児島県の旧制中学校で美術・社会の先生をしました。そして、昭和5年に山崎村子さんと結婚、三女をもうけました。
 戦時色の強くなった昭和12年、赤松さんは、朝鮮京城府(現ソウル)に渡り、丁子屋百貨店に勤務しました。昭和15年には旧友の三岸節子氏と合同で、丁子屋百貨店において個展を開き、画家としての赤松真輔の名を世間に広めました。昭和20年の終戦後は、大陸からふるさとに帰ってきて、町内外で美術の指導に情熱を注ぎました。昭和30年に中央町が誕生した後には、赤松さんは町の文化文化活動の振興に努め、文芸・美術部門で活躍しました。このように、中央町の芸術振興に功績を残した赤松さんでしたが、昭和36年2月22日、まちの人に惜しまれながら永眠しました。 イメージ