両山寺イメージ両山寺本堂
元禄年間に津山城主森長盛公が寄進したものとされる、江戸中期の本格的仏殿です。本堂は入母屋(いりもや)造りで、正面には唐破風(からはふう)造りの向拝(こうはい)が付いています。その向拝に施された、古風で美しい絵柄のひきまたとこうりょう、木鼻の彫刻は、参拝に筋れた人々の目を惹き付けます。また秋は紅葉と眼下に広がる雲海が素晴らしいです。

【霊峰二上山(ふたかみさん)と両山寺(りょうさんじ)】
 美咲町の大垪和(おおはが)地区には、美しい二つの峰を持つ二上山があります。山間に広がる棚田を見ながら、二上山に向かって九十九(つくも)折りの道を登って行くと、山頂付近に両山寺が見えて
きます。この寺は、神の宿る山を崇拝する日本古来の山岳信仰と平安密教が融合した山岳密教の聖地として、美作(みまさか)地方にその名を知られています。
 昔から人々の厚い信心を受けてきた二上山と両山寺。元禄年間に編纂された「作陽誌」の一説には、二上山は和銅七(七一四)年に僧侶にして白山権現の信者、泰澄(たいちょう)が開山した、とあり
ます。そして、平安初期に泰澄の霊魂に導かれた空海が二上山に登り、金剛界(こんごうかい)と胎臓界(たいぞうかい)を山頂にみつけたことから、両山寺を興して密教の道場とした、と記載されています。しかし、両山寺の縁起は、度重なる火災で書物が焼失し、はっきりとしたことは分かっていません。
 ところで、もともと両山寺は真言と天台の二大密教の道場でした。境内には、本堂や五垂塔をはじめ壮麗な七堂伽藍(がらん)が建てられ、二上山山麓には、修行者が宿泊する二十八の僧坊がありました。ところが戦国時代、尼子氏と毛利氏との間で起こつた戦渦によって、寺の諸伽藍と僧坊のほとんどを焼失してしまいました。現存する本堂、薬師堂などは、元禄時代に再建されたものだそうです。また、時代の流れの中で天台の修行は行われなくなり、両山寺は真言宗の寺となりました。

【時を語る宝物】
 度々の戦渦や火災にあっても、仏の教えを信じ、救いを求めた人々の心が、両山寺のあちらこちらに今も残っています。これから境内を巡り、宝物のいくつかをご紹介します。
 まず、鐘楼堂(しょうろうどう)を上部に持つ珍しい様式の仁王門をくぐつてみましょう。門の両側には、邪な心の者を戒めるため、怒りの表情を浮かべた「阿」「吽」の金剛力士像が安置してあります。両山寺紅葉イメージ
 この二体は、檜寄せ木造りで、室町時代後期の作と推定されています。
 鰐口(わにぐち)は、本堂正面の軒先につるし、音を鳴らして客の訪問を知らせる金属具のことです。両山寺にある大型鰐口は、岡山県内にある最古の在銘鰐口で、県の重要文化財に指定されています。やわらかな甲状のふくらみを持つ鼓面には、正平十八(一三六三)年十一月と刻銘されており、南北朝時代につくられたものであることが分かります。さらに、中央の撞座には、優美な蓮華文があります。また、鼓面に残る三角形の穴は、両山寺が戦渦にみまわれた際に、槍に突かれてできた傷と伝えられて
います。
 このように、文化財は両山寺のたどつてきた歴史を、私たちの心へと静かに語りかけてきます。特に、本堂の右側にそびえる二上杉は、樹齢約千年と言われています。開起当時から両山寺を見守ってきたと言われる杉の木は、枝を広げ、三十メートルもの高さに成長しました。その姿は、まるでこの地に住む人々の祈りを天まで届けているようにも感じられます。

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