護法祭をめぐる5つの言い伝え
| 烏の害 |
| 毎年行われていた護法祭を、いつのことか分かりませんが一年だけ休止したことがありました。するとその年、付近一帯に烏が密集して、農作物をたちまち食い荒らしてしまいました。農民たちは「護法様が祭りを行わなかったことにお怒りになった」として次の年から再び護法祭を行い、現在まで祭りを絶やしたことがありません。 |
| 塩場の窪 |
| 城山と弥山の間にある窪地に、年中水の湧き出ている7つの池があります。この地を塩場の窪と言います。「塩場」の名は、塩の干満につれて池の水位が上下すると言い伝えられていることから、名が付けられました。昔から塩場の窪は清浄の池とされ、修行者の水垢離(みずごり)を取る場所であり、また農民が雨ごいをする場所でもあります。 |
| 護法の松 |
| かって、護法祭の時、ある男が両山寺へ参拝に訪れました。しかし、護法実はなぜか奪然としてこの男に飛び掛りました。すると、男も護法実と勇敢に争い、ともに崖から落ちてしまいました。村人はその地に二人を葬り、松の木を植えて菩提を弔ったということです。これが護法の松で、その時植えられた木は枯れてしまいましたが、現在も石塚は残っており、かたわらには新しい松の木が植えられています。 |
| にごり池 |
| 滝谷池と両山時のほぼ中間地点に、にごり池と呼ばれる小さな池があります。 ある護法祭の夜、護法実がある武士に飛びかかりました。武士は逃げ回りましたが、護法実は追いかけてきます。困った武士は木の上に逃げましたが、護法実も登ってきます。あまり執拗に護法実が追ってくるので武士は激怒し、刀を抜いて護法実に斬り付け首をはねてしまいました。しかし、首は下に落ちることなく本堂まで飛んでいき、無念の思いから主柱に噛み付いたと言い伝えられています。木から降りた武士は、護法実を斬った刀を付近の池で洗い流しました。この事件以降、池の水はにごったままだとゆうことです。 |
| ご本尊飛行の天野の原 |
| 戦国時代、両山寺は尼子氏と毛利氏の選渦に巻き込まれ、寺のほとんどを焼失してしまいました。しかし、本堂が紅蓮の焔に包まれた時、両山寺のご本尊である聖観世音菩薩像は天野の原へご飛行になり、夜毎美しい光を放たれたと伝えられています。その後、本堂を再建した際に、この聖観世音菩薩を安置したとゆうことです。 |
j樹齢1000年の二上杉が歴史を語ります。 |